北海道に開拓移住するぞ!
となったら、何が必要で準備などはどうしていたのでしょうか。
- 明治~大正の開拓移住の流れ
- 移住の為に用意した荷物
- お金はどのくらいかかったのか
- 北海道移住に関する雑学ネタ
絶対に必要なものや、本州から北海道に渡るまでの流れについて、ざっくり簡単に分かりやすくまとめてみました。
移住するのに必要なものは?

- 廃藩置県で仕えていた藩の仕事が無くなった
- 天災の影響でこれまでの農地を手放す事になった
- 北海道という新天地に一攫千金の夢を見た
などなど、明治維新後の様々な変化で、移住する人が増えました。
移住準備の前に必要な事
まず、移住するぞ!となった時にその人が天涯孤独の身であったら、何も問題はありません。
家庭持ちの場合は本人の親や婚姻関係にある相手、子供などなど家族の了承を得る所から始まります。
- 親が北海道行きを嫌がる
- 妻が北海道行きに抵抗がある
という事も多かったようです。
その為、夫だけが先に北海道へ行って生活が落ち着いたら親族を招く、という事を選んだ人もいました。
これまで属していた村や集落から、農業をする人が減るのは困る!と引き留められたパターンもあったそう。
①行き先を決める
東京など、ある程度の規模の都市では、北海道移住を促進する為の相談所があったり役場で相談する事ができました。
北海道での生活の仕方の指南書なども発行されていて、移住を希望する人達はそういった情報を元に移住先を決めたり、勧められて決めたりしました。
②移住証明書を貰う
移住が決まったら、交通費や宿泊費などの割引を受けられる移住証明書を発行してもらいます。
身分証明書にもなる大事なものだったので、大事に身に着けて移住先を目指しました。
③家の事を整理する
当時、
北海道へ行く=もう二度と故郷に帰って来られない
と考えられていました。
そのため、家のお墓を親戚に任せる相談をしたり、
場合によっては住んでいた家そのものを処分する必要もありました。
北海道へ移住しない親族との別れとして、壮行会を兼ねた宴会を行う人もいました。
④お金など必要なものを揃える
北海道へ移住するとなると、身一つで行く事はできません。
北海道へ着くまでの交通費や、着いてから生活をするのに必要な布団や調理器具など、
持って行かなければならないものはたくさんありました。
移住準備で用意したもの


移住するのに必要なもの
- 特に大事な現金と移住証明書
- 移住した先で大事な布団・着替え・マッチ
- 家を建てる為の道具(ノコギリ、オノ、ナタなど)
- 農作業具(カマ、クワ、スコップなど)
- 必要最低限の調理器具(鍋、釜など)
- 必要最低限の調味料や食品(米、塩、味噌など)
- 移動中のおやつ(欲しいも、金平糖など)
- 日用品(薬、文房具、位牌、お守りなど)
農具は最悪用意できなかったり、使っていてすぐ壊れてしまっても、どうにかなりました。
鍛冶屋がある市街地まで出向いて、修理してもらったり新しく買う事が可能だったのです。
船に持ち込めなかったもの
船に乗せられない物もありました。
ご飯のお供として大事な漬物は、匂いが出るという事で船に持ち込むのはNG。
米や麦をひく石臼も持って行こう!としたものの、船に乗せられる重量の問題でNGになるパターンも。
ただ、移住先には丁度良い岩がゴロゴロしていたので、無理して持ってこなくて良かったじゃーん!の部類でした。
移住のアレコレ


家族がいると頑張れる?
- ある程度開拓が進んだら家族を呼ぶ、よりも
- 最初っから覚悟を決めて一家総出で移住した方が
- 移住生活が早く安定する
という事で、
伊達邦直・邦成兄弟が移住する際も、家族は残さずに皆で一緒に行く事を原則としていました。
移住生活が成功したら迎えに来る、と1人で行った場合、
移住先で心が折れ、家族の元へ帰ってしまう可能性があったからだとか。
ちなみに、屯田兵のとある母親は嫌々北海道移住へ着いて来て、移住先で生活している時も帰りたいと連呼していたものの、
生活に慣れ80歳を超えて天寿を全うした、という話も。
北海道でお米はどうしてた?
お米は本州からの輸入に依存していたので、米が値上がりした時もその影響をがっつり受けて大変な目に合う事も。
開拓使がアメリカから招いた農業の先生も、北海道だと米より麦のが良い、という意見だったので
そもそも稲作をする事は推奨されてもいませんでした。
とは言え、日本人だから米を食べたいんじゃあ!!という熱意を抑えきれるワケも無く、
次第に北海道でも稲作が行われるようになりました。
持って行けない荷物はどうしたの?
生活に必要な食材や調理器具、布団などは何とか自力で運ぶとしても、他にも持って行きたい荷物も当然あったはず。
そういった荷物は、配達をお願いして移住先まで届けてもらう事もありました。
しかし、移住者の現地到着と荷物の現地到着が一緒になるという事はほとんど無く、手元に届くまで、1~2ヶ月はかかったと言われています。
移住先の家に持ってきてもらうのではなく、近隣の宿や駅逓などに配達をお願いしていました。
実は里帰りブームがあった?
明治後期頃には、鉄道などの交通網が本州だけでなく、北海道でも整っていました。
その為、開拓がひと段落ついたし、お金もあるし、という移住者たちが本州の故郷へ里帰りする事もできました。
北海道で作られた農産物を売りがてら、本州の観光地へ旅行に行きつつ、故郷にも寄るという事をする人々もいたのだとか。
移住費用など


北海道へ移住する際、費用はどのくらい必要だったのでしょうか。
移住する総費用の一例
1戸4人(大人2人・老人や子供2人)の移住者の総費用は、
- 家屋(仮り家) 18円32銭
- 家具 8円62銭
- 食費(並玄米・大麦・塩菜) 53円65銭
- 農具 22円51銭
計 103円10銭
北海道農業の貴重な労働力でもあった馬耕1セットは、馬1頭30円と必要な器具を含めて約70円かかりました。
明治39年の試算では食費が94円15銭に値上がりし、計147円17銭に変わっています。
渡航旅費の一例
- 埼玉(深谷)→青森/汽車賃 6円
- 青森→函館/船賃 90銭
- 函館→小樽/汽車賃&小樽→網走/船賃 6円50銭
- 宿泊代&食費 6円
合計 約20円
として所持金を用意するように、という故郷の親にあてた手紙が見つかっているのだとか。
こちらもあくまでその時の目安なので、当然ですが移住先や選べる交通手段によっては違いは出ました。
先に目的地に住んでいる人にどのくらいお金が必要か、聞いている人も多かった事でしょう。
現代価格で考えたらいくらなの?
- 現在→お米10㎏1袋が3,000円くらい60㎏で1万8,000円くらい
- 明治26年→米1俵60㎏で約2円
- 明治26年の1円は現在の約1万円
これをさっきの移住費にあてはめてみると、
明治26年の103円は現在の103万円という事になります。
年によって米の価格は変動するので、あくまで目安程度に考えてもらえればと思います。
実際の所持金平均はいくらだった?
- 10円未満1戸
- 10円以上13戸
- 100円以上18戸
- 200円以上7戸
- 500円1戸
平均は107円96銭で、
家族を含めて1人平均20円97銭だったようです。
金銭的余力をもって開拓に入り、成功した家々もあったので、移住者によって元々の資金力の差もありました。
農業で成功してお金持ちになった人は、出身県から大工の棟梁と大工を呼び、長期滞在させて木材も取り寄せてかなり豪華な家を建てる事もあったのだとか。
最後に
明治開拓期に北海道へ移住するには何が必要なの?どういう流れで移住するの?
などについて、簡単にまとめてみました。
移住する時に布団や調理器具を背負って持って行くのは、相当大変というか、かなり大荷物だった事でしょう。
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