不安な中だから祈る-歴史を見ると折り合いの付け方が分かるかも-
何かと心がざわつくニュースの多い近頃。
SNSを開けば不安を煽る情報や感情が揺さぶられる話があふれてます。
世界のどこかでは戦争も続いていて、ニュースを見てると辛い気持ちや漠然とした不安に襲われたりします。
コロナ禍の時もそうでした。
トイレットペーパーがなくなる、というデマが流れたり、
マスクが手に入らない焦りと怒りが人々の間に広がっていました。
歴史を振り返ると、こういうことは何度でも繰り返されてきています。
そして毎回、パニックと情報の混乱がセットになってやってくる。
昔の人たちは、こういう「自分の力だけじゃどうしようもない状況や漠然とした不安」をどうやって乗り越えてきたのでしょうか。
人類は祈ってきた?
天災、疫病、戦争。
これらは個人の力で今すぐどうにかできるものではありません。
個人で感染症対策を心がける事はできますが、それでも限界があります。
自分にコントロールできることとできないことがある。
できないことをどうにかしようともがくより、できることを丁寧にやって、あとは大きな存在に委ねる。
それが人類が長い時間をかけて編み出した知恵でした。
江戸時代の儒学者・貝原益軒の「養生訓」も、
老子の「足るを知る」も、
荘子の「どうにもならないことはどうにもならない」という達観も、
根っこは同じことを言っています。
私自身、気持ちがざわついた時にこういう考えに触れると、少し落ち着くことができます。
そしてその「委ねる」という行為が、「祈り」の形でもあると私は思うのです。
どんな時代にも、どんな文化にも、祈りの場があるのはそういうことだと思います。
先が見えない、いつ災害が来るかわからない、そういう状況の中で、人は本能的に祈ることを編み出したのだと。
祈りと感謝
祈りと感謝は、ベクトルが似ています。
どちらも自分の外にある大きなものに意識を向ける行為です。
祈りが「おねがいします」なら、感謝は「ありがとう」。
向いている方向が未来か過去かの違いはあっても、構造は同じです。
てるてる坊主がわかりやすい例で、「晴れますように」と未来に向けて祈りますよね。
感謝は分かりやすくいえば、食べる時の「いただきます」でしょうか。
食べ物の成り立ちに感謝して食べますよね。
祈る、感謝する。
この構造自体、人類がずっと繰り返してきたことです。
時代が違っても、場所が違っても、文化が違っても、人間が不安に直面した時にたどり着く答えは似ています。
どうにもならないことはどうにもならない。
だから、自分にできることを丁寧にやって、あとは大きな存在に委ねる。
それが祈りであり、感謝であり、人類が何千年もかけて編み出した「折り合いのつけ方」だと思うのです。
漠然とした不安に押し潰されそうは時には先祖に祈る&感謝してみたり、地域の寺社仏閣に足を運んでみるとか、
自分にとって祈りを捧げられる対象に祈るとか、自分のこれまでを構成している事柄や出来事に感謝してみると不安が和らぐかもしれません。
不安な時は歴史に触れる
テレビやSNSで不安なニュースを見続けて気持ちが消耗してしまうときは、歴史の中に先人たちの知恵や記録を探してみるのも一つの方法です。
歴史学は昔の人が困難な時代をどう生きたかを
民俗学は人々の暮らしや祈りの習慣を
宗教学は人はなぜ祈るのかを
思想史は昔の人の「生き方の知恵」を
文化人類学は世界の人々の考え方を
それぞれ教えてくれます。
難しそうに聞こえるかもしれませんが、要するに「昔の人たちはどう生きていたか」「どう祈ってきたか」の記録です。
そこには今の自分にも使える「折り合いのつけ方」「不安との向き合い方」が見つかるはず。
最後に
今回紹介したのは、どちらかというと東洋思想に近い考え方です。
世界のさまざまな地域でも、不安や困難と向き合うための知恵がそれぞれの文化の中で育まれてきました。
そういう違いを調べてみるのも、人間の面白さを知るきっかけになります。
どうにもならないことは、どうにもならない。
でも今の自分にできることを丁寧にやって、あとは大きなものに委ねる。
昔の人たちがそうしてきたように。
だから歴史は残されてきたし、振り返る必要があるのだと私は思います。
