早川弥五左衛門ってどんな人?について簡単にまとめてみました。
早川弥五左衛門について
- 大野藩の藩士
- 1856(安政3)年に従兄弟と蝦夷探検に行く
- その後は樺太の会所詰頭として警備をしつつ開拓する
- 最終的には樺太から撤退する
- 明治初期には開拓使の参事にもなった
大野藩のあった越前(福井)は日本海側の航路で松前や函館と結ばれていたので、何かと縁があったと言われています。
樺太で頑張ってみたものの、
冬が寒い・お金が無い・病気になる人続出
大事な船の大野丸も沈没してしまうなど、
トラブル続きで思ったようにうまくはいきませんでした。
内山隆佐(うちやまりゅうすけ/たかすけ)
- 弥五左衛門の従兄弟で、義理の弟(妹の旦那)
- 本多利明が書いた蝦夷の本を読んで心を動かされる
- 1856(安政3)年の蝦夷探検では隊長を務めた
大野藩の藩士で佐久間象山などの元で学び、藩主・土井利忠を支えて明倫館では世話役を担当していました。
本多利明の本に心を動かされるあまり、ファンレターのような詩も書いていたんだとか。