八王子千人同心とは?半農半士になった理由と幕末までの歩み
八王子千人同心とは?半農半士になった理由と幕末までの歴史
八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん)は、江戸時代に幕府に仕えながら、農業も営んでいた集団です。
武田家の旧臣を起源とし、八王子周辺を拠点に活動していました。江戸時代には日光東照宮の火の番などを担当し、幕末には軍事組織としての役割が大きくなります。
この記事では、八王子千人同心がどのように成立し、どんな役割を担ってきたのかを、幕末までの歴史に沿って紹介します。
八王子千人同心とは?
八王子千人同心は、現在の東京都八王子市周辺を拠点に、江戸幕府に仕えていた人々です。
武士として幕府に仕える一方、普段は農業を営んで暮らしていました。
八王子駅の近くには、現在も「千人町」という地名が残っています。八王子千人同心と関係の深い地域です。
八王子千人同心のトップにあたる千人頭は、旗本に相当する身分で、将軍に拝謁することもできました。
組織は、100人ずつの組を10組設ける形で構成されていました。
八王子千人同心の始まりは武田家の旧臣
八王子千人同心の起源は、武田信玄に仕えていた小人頭(こびとがしら)と呼ばれる人々にさかのぼります。
小人頭は約250人ほどで構成され、30人ほどの単位で組織されていました。武田信玄の居館や甲斐国内の街道などの警備を担当し、長柄の槍を扱う部隊としても活動していました。
武田家が織田信長によって滅ぼされると、甲斐国は徳川家康の支配下に入ります。
その後、徳川家康は武田家の旧臣たちを召し抱えました。旧臣たちは誓約を交わし、以前から持っていた土地を維持しながら、徳川家に仕えることになります。
さらに、北条氏が滅亡した後には、八王子城周辺の警備を担当するようになりました。北条氏の旧臣たちも加わり、人数は約500人に増えます。
その後、1600年ごろには約1000人の組織となりました。関ヶ原の戦いでは徳川家康と徳川秀忠の軍勢に分かれて参加し、大坂の陣では秀忠の軍勢に従いました。
戦のない時代に変わった八王子千人同心
江戸幕府が成立し、戦のない時代が続くと、八王子千人同心の軍事的な役割は少しずつ変化していきました。
幕府に仕える身分でありながら、普段は農業を営んで暮らす。このような生活は「半農半士」と呼ばれます。
江戸の町で勤務する同心とは異なり、八王子千人同心は農村を生活の基盤としていました。
家を継げるのは基本的に長男であり、次男以下の子どもたちは、家を継ぐ以外の生き方を考えなければなりませんでした。
こうした事情も、八王子千人同心の一部が蝦夷地への移住を目指す背景のひとつになりました。
また、八王子千人同心の身分や役目は世襲されましたが、その権利を売買することもありました。こうした権利は「同心株」と呼ばれ、裕福な農民などが買い取る場合もありました。
そのため、八王子千人同心には、武士の家に生まれた人だけでなく、さまざまな背景を持つ人々が含まれるようになりました。
八王子千人同心の蝦夷地への移住については、こちらの記事で詳しく紹介しています。
関連記事:八王子千人同心は北海道で何をした?勇払・白糠への入植とその後を解説
日光東照宮の火の番を担当する
八王子千人同心は、家綱の時代から日光東照宮の火の番を担当するようになりました。
火の番は50人ずつの組で交代しながら務めていました。
1000人を50人ずつに分けると、全部で20組になります。1年間に2組が担当すると、ひとつの組が再び担当するのは、およそ10年に1度という計算になります。
そのため、火の番を担当していない期間は、農業を営みながら暮らしていました。
幕末になると、再び武士としての役割が大きくなる
幕末になると、八王子千人同心の役割にも大きな変化が訪れます。
慶応元年(1865年)、八王子千人同心は陸軍奉行の管轄下に入り、「千人隊」と呼ばれるようになりました。
それまで槍を中心としていた装備は銃へと変わり、西洋式の歩兵部隊として再編されていきます。
将軍の京都への護衛、横浜などの警備、反乱や一揆の鎮圧、関所の警備など、さまざまな任務を担いました。
短期間で組織や装備、任務が大きく変化したため、精神的な不調や病気に悩む人もいたとされています。
八王子千人同心は第二次長州征討にも参加しました。ただし、この記事で参照している資料では、大きな戦闘や多数の戦死者が出た戦いとしては描かれていません。
江戸幕府の終わりと八王子千人同心の解散
1868年、江戸幕府の終わりとともに、八王子千人同心も解散することになります。
その後の進路は一様ではありませんでした。徳川家に従って駿河へ移った人もいれば、新政府に仕えた人、武士の身分を離れて多摩で農業を続けた人もいました。
蝦夷地へ渡った人々も、旧幕府側や新政府側につくなど、それぞれ異なる道を歩みました。移住先に残り、開拓を続けた人々もいます。
蝦夷地へ渡った八王子千人同心の人々が、どのような経緯で移住し、その後どうなったのかについては、こちらで詳しくまとめてみました。

まとめ
八王子千人同心は、武田家の旧臣を起源とし、江戸幕府に仕えながら農業も営んでいた集団です。
江戸時代には日光東照宮の火の番などを担当し、幕末には千人隊として軍事的な役割を担うようになりました。そして、江戸幕府の終わりとともに解散し、人々はそれぞれ異なる道へ進んでいきます。
中にはそのまま道南に残って北海道で頑張っていた人たちも。
勇払だけでなく道南に残る八王子千人同心の史跡も見て回りたいと思います。

