御雇外国人のホーレス・ケプロンやエドウィン・ダン、クラーク博士について簡単まとめ
okamehan
きたうみ日誌
人柄も良く、和人にもアイヌの人々にも等しく接してとても慕われていたのだとか。
三石に商船学校を作って自腹で宿舎などを作ったり、地域のインフラ整備や開発、様々な事に寄付をしました。
世間的に名を知らしめたい!というタイプでは無かったと言われています。
1878(明治10)年に重吉が日高の三石に昆布の製造所を作り、昆布の製造方法などを改良しました。
質の良い三石昆布は日本だけでなく中国でも人気になり、三石昆布の名前は更に広まりました。
今では三石昆布よりも、日高地方で採れるから日高昆布と聞く方が多いかも知れません