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昭和

十勝大樹豊頃に残るトーチカは旧陸軍第七師団長・鯉登中将と関係有り?

北海道の歴史勉強が趣味、な十勝民・おかめです。

実は十勝に太平洋戦争に関する遺構があるってご存知ですか?

海岸線に点在している、コンクリートの建造物・トーチカです。

おかめ
おかめ
大樹や豊頃の海で釣りをした事のある人、見たことあるのではないでしょうか
トーチカはロシア語で点などの意味で、防衛陣地とも呼ばれている

第二次世界大戦のなかで、日本がアメリカなどの連合軍と戦った戦いが太平洋戦争(大東亜戦争)と呼ばれています。

その太平洋戦争末期、アメリカ軍の本土上陸が考えられていました。

おかめ
おかめ
本土上陸に備えて、トーチカが作られたんだそうだよ
たろう
たろう
本土上陸ってことは日本の土地で戦いになるってことだよね
おかめ
おかめ
だから、1944年から終戦まで、十勝帯広には旧陸軍第七師団が駐在して、道東に勢力を展開していたそうだよ

当時の師団長・鯉登行一もトーチカなどの視察をしたと言われています。

たろう
たろう
十勝と戦争って空襲以外あんまりないかと思ってた
おかめ
おかめ
案外そうじゃなかったんだね

十勝の海岸線に現存している、

  • 大樹町の旭浜トーチカ
  • 豊頃町のトイトッキ浜トーチカ
  • 広尾町の野塚防霧林トーチカ

を見てきた感想と、当時の時代背景を簡単にまとめてみました。

  • 十勝と戦争の話が気になる
  • 海岸にあるコンクリートのアレって何?
  • ドライブがてら歴史を知りたい!

と思っている方の参考になれば幸いです。

大樹・旭浜トーチカ

大樹・旭浜トーチカ(林の中)

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将

旭浜漁港の近くで、旭浜トーチカと、浜辺のトーチカ群を見られるようになっています。

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将
2008年に周辺の工事の際、見つかったトーチカです。

  • トーチカの上に登れる
  • 側面の銃眼(機関銃を出す口)がはっきり見える
  • 入り口の様子も分かる

ようになっていました。

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将

2020年5月に行ったのですが、至る所に草が生えていてちょっと歩きにくかったです。

サンダルなどの靴で行くのはあまりオススメできないかと思います。

おかめ
おかめ
そもそも、埋まっている状態で身を隠して敵を攻撃する存在だったらしいよ
たろう
たろう
じゃあ、これはちょっと体が出ちゃった感じになるのか

大樹・旭浜トーチカ(海岸沿い)

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将

林の中のトーチカから、もう少し海岸に向かった先に点在しているトーチカを見られました。

広い海岸線沿いに、ぽつぽつとトーチカが建っています。

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将

砂にかなり埋まっているものもあれば、多少出入口が見えるもの、

頭に草を被っているものなど、様々な姿を見る事ができました。

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将

銃眼や出入り口から中を覗く事もできる状態でした。

おかめ
おかめ
結構中は狭そうだね
たろう
たろう
むしろこの中に爆弾入れられたら大変な事になりそう

怖い想像が頭の中に広がった瞬間です。

場所

林の中にあるトーチカと、浜辺に点在しているトーチカの2パターンを見る事ができます。

浜辺は砂状なので、履いている靴によっては大変な目に合います。

虫除けなどがあれば林の中も怖くないかと思います。

同じ日に旭浜で釣りしてた

豊頃・トイトッキ浜トーチカ

豊頃・トイトッキ浜トーチカ

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将

トイトッキ浜野生植物群落、豊北原生花園と同じエリアにありました。

このトーチカから少し歩けば、すぐに海岸線に出ます。

流木がたくさん流れ着いている砂浜でした。

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将

目を引く赤い鳥居が建っています。

たろう
たろう
なんで鳥居が付いてるんだろう?
おかめ
おかめ
特に来歴を示す看板とかはないね

豊頃などの郷土資料館に情報はあるんでしょうか。

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将

トーチカの出入口があるんじゃないだろか?

という部分には草がこんもりと茂っていて、銃眼だけがよく見える状態でした。

場所

トーチカ、という看板ではなく、トイトッキ浜野生植物群落、豊北原生花園という看板を大きな道路で見かけたと思います。

トーチカそのものに、車で近づける場所になっていました。

広尾・野塚防霧林トーチカ

広尾・野塚防霧林トーチカ

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将

他のトーチカよりも色んな意味でドキドキする場所でした。

  • トーチカ看板から先が林で見えない
  • 足元がやけにふかふかする
  • 鳥・虫の鳴き声がすごかった
  • 草木の生い茂り方が凄すぎた

明るい時間帯に行って良かったです。

おかめ
おかめ
トーチカまでの道あるのこれ?
たろう
たろう
まあ、歩いてみようか

茶色の小さな橋を渡って、いくらか歩いて行くと解説看板付きのトーチカの姿が見えてきました。

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将

トーチカの上には山菜も生えている状態です。

本当はこんな姿で埋もれるように存在していた物だったんだろうな、という見た目をしています。

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将

頑張ってぐるっと一周してきましたが、始終何か出てくるんじゃないか?とドキドキが止まりませんでした。

一緒に行った家族にはマダニがくっついていた

見に行く時は、是非気をつけてどうぞ。

場所

広尾のシーサイドパークにある、広尾町海洋博物館がすぐ近くにあります。

海洋博物館にトーチカについての解説展示などはありませんでしたが、

  • 魚の構造について
  • 十勝の歴史
  • 坂本直行氏の展示

などがあり、とても見応えがあるのでオススメです。

十勝広尾の歴史が詰まってる

ちなみに、坂本直行氏は六花亭の包装紙の花柄を書いた人であり、坂本龍馬の親戚でもあります。



トーチカってそもそも何?

トーチカの意味と存在理由

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将 トーチカの構造について

トーチカは何故あるの?
  • 戦争末期の1944年に作られた
  • ロシア語で点・拠点の意味
  • 防衛陣地とも言われるコンクリート製の建築物
  • アメリカ軍の上陸に備え、主に太平洋海岸に作られた
  • 戦後は占領軍による武装解除で壊されたトーチカも

網走・根室・釧路・十勝の海岸に、トーチカや防衛の為の建築物が多く作られました。

厚真町の海岸線にもトーチカがあるそうです。

トーチカの構造

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将 トーチカの構造について

トーチカの中に入って敵を攻撃する
  • 機関銃や野砲類(大砲の一種)の銃口を銃眼から外に向けて
  • 敵を攻撃できるような造り

になっています。

本当は土や草の下に隠れているものでしたが、現代では風などの力で姿がよく見える状態になっています。

トーチカの作り方
  • 材料はセメントや砂利、砂
  • 深さ1mの四角い穴を掘り、コンクリートを流し込んで基礎を作る
  • 基礎が固まったら、側面を作る。木の枠を組んでコンクリートを流す
  • 最後に天井を作り、姿を隠す為に草などを植える
  • 1つにつき制作日数は1週間程

十勝毎日新聞2003年6月27日には、トーチカの保存運動について紹介する記事が載っていたのだとか。

トーチカには鉄骨が入っていないので、その分耐久性は低くなっていると考えられています。




トーチカが作られたのは太平洋戦争末期

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将

トーチカが作られたのは1944年(昭和19年)

当時の日本はアメリカなどの連合軍に対して不利な状況にありました。

このままでは日本本土に上陸されてしまう!という危機感を抱いていたのです。

北海道でも上陸戦に備えるため、太平洋の海岸線沿いにトーチカが作られました。

上陸戦を想定した訓練なども行われましたが、実際に使われる事なく日本は終戦を迎えています。

おかめ
おかめ
使われなくて良かった…!
たろう
たろう
上陸戦も無くて本当に良かったね

とはいえ、1945年7月に北海道各所への空襲もあり、北海道が戦争被害を受けていない訳では無かったのです。

釧路市立博物館では、釧路の空襲被害などを知る事ができます。

>>釧路博物館・感想まとめ&お得に見られるチケット情報

旧陸軍第七師団が道東に駐在した戦争末期

トーチカが作られた戦争末期の道東の様子について、簡単にまとめてみました↓

上陸戦に備えて旧陸軍第七師団が道東へ

【歴史探訪】十勝大樹・豊頃に残る太平洋戦争の跡・トーチカと旧陸軍第七師団長・鯉登中将 広尾町トーチカ説明

日本が不利になって終戦を迎えるまでの簡単な流れ
  • 1943年5月・アッツ島玉砕
  • 1944年4月頃・アメリカ軍上陸に備えて旧陸軍第七師団が道東へ移動
  • 1944年12月頃まで・トーチカなど防衛強化の為の建築物を作る
  • 1945年7月14、15日・北海道各所への空襲
  • 1945年8月15日・日本の無条件降伏により終戦

1943年、北海道から北に存在するアメリカ領の島、アッツ島を占領していた日本軍が玉砕した事などをきっかけに、本土決戦の危機感が高まっていきました。

旧陸軍第七師団は、太平洋海岸の守りを固めるために主力を道東に展開。

東条英樹という軍の偉い人も帯広の状態を視察していました。

おかめ
おかめ
アメリカ軍上陸を想定した演習も行われてたんだってさ
たろう
たろう
怖いなあ…

↓最近読んだ太平洋戦争を題材にした漫画では一番読みやすく&心に突き刺さりました。

旧陸軍第七師団長・鯉登行一も十勝帯広へ

鯉登行一中将は愛媛県の出身で、1941年に第七師団長に就任しました。

第七師団の一部はアリューシャン列島やミッドウェー島、ガダルカナル島などへの出動などもあった。

「北辺の守り」を率いる為、鯉登中将自身はそのまま北海道に駐在していた。

その後、十勝帯広には司令部が置かれ、師団長鯉登行一中将も帯広入りしています。

アメリカ軍上陸戦を想定した演習やトーチカの現地視察などをしていました。

兵士たちの士気の低下に悩んでいた、とも言われています。

想定していた北海道での戦いはないまま、終戦を迎える事になりました。

この鯉登中将の書が、旭川にある北鎮記念館に飾られています。

屯田兵の事や陸軍第七師団の事、戦争についてなどを詳しく知る事ができるのでオススメです。

旧陸軍第七師団を知るなら

最後に

十勝の海岸線に残る、太平洋戦争の遺構・トーチカについてまとめてみました。

一見するとコンクリートの塊に見えますが、その存在の理由を知ると、見る目が変わるのではないでしょうか。

上陸戦が無くて本当に良かった、と心の底から思います。

トーチカを見に行く時には、足元にはくれぐれも注意して下さいね。

>>十勝と戦争・バロン西と本別の話

>>十勝に残る戦争遺構まとめ