2020年7月に根室地方に行って野付半島に行ったり、標津町ポー川史跡自然公園に行って来ました。
その記録まとめ【二日目】です。
- テントの中で食べるカップ飯って美味しい
- 朝の日帰り温泉が気持ちよかった
- 野付半島は異世界感があって楽しかった
- 標津町ポー川史跡自然公園
- 中標津町の『やまやスペシャル』がスゴかった
- ピアソン記念館でカードだけ貰ってきた
などの日記まとめになってます。
>>【根室歴史旅記録】根室市歴史と自然の資料館・納沙布岬・金刀比羅神社・ヤキトリ弁当【一日目】
テントの中でカップ飯
朝の6時前に目が覚めました。
普段の仕事がある日などはそんな時間には起きれないんですけどね。
そして、朝ご飯に食べたのは日清のカレーメシでした。
- お湯を注いで食べられる
- カップ麺みたいに汁が残らない
- カレードリアが大好き!
なので、試しに買ってみましたがすごい便利でした。素敵すぎました。
朝いちの日帰り入浴
朝7時~9時の時間に入れる、という事で行って来ました。
時間ギリギリになってしまいましたが、入る事ができて良かったです。感謝感謝。
お陰でキャンプの焚火臭から解放されました。
こじんまりとした感じのお風呂で、すごく綺麗で露天風呂も素敵な見た目でした。
時間が無かったので、内風呂から外を眺めてるだけになってしまったのが残念です。
※タオルは持参しないと無い場所でした。
野付半島へ
お風呂でさっぱりした後は、不思議な形の野付半島へ。
ずーっと曇っていたせいもあるのか、午前中の早い時間に行けたからなのか、人がほとんどいませんでした。
幕末には、幕府の命で会津藩が根室や野付半島に駐在していたのだとか。
キラク伝説、という会津藩にまつわる街が存在した伝説もあるそうです。
野付半島の道の途中には、会津藩の旗が掲げられた石碑もありました。
戊辰戦争が始まるから野付半島にいた会津藩士は国に帰って行った、という解説をネイチャーセンターで読む事ができました。
国に帰ったその会津藩士たちは、どうなってしまったんだろうと思うと戊辰戦争に興味が湧いてきます。
標津町ポー川史跡自然公園
『南摩綱紀』の先人カードを貰いがてら、標津町ポー川史跡自然公園へ行って来ました。
自然公園と資料館が一緒になっているような場所でした。
資料館の中では、標津町に関する歴史が手作りのジオラマと共に紹介されていました。
アイヌ民族の生活などについてもジオラマで再現されていて、こんな感じで生活していたのかな、と分かりやすく、とても面白かったです。
根室地方に特に関わりの深い、クナシリ・メナシ蜂起の説明や会津藩に関する紹介もあり、歴史の深さを改めて感じられました。
南摩綱紀って誰?
- 幕末の1862~1867年頃に標津にいた会津藩士
- 当時の標津は会津藩領になっていたから
- アイヌ民族と和人の相互理解を目指した人
なんだとか。
先人カードを貰って初めて名前を知った方なので、これから会津藩や戊辰戦争に絡めて勉強していきたいと思います。
中標津町・やまやでお昼
中標津ならでは!
のグルメは何か分かってませんでしたが、調べてみると『やまやスペシャルがすごい』っていう事が分かりました。
2日続けてエスカロップを食べてきましたが、幸せでした。
清里へ
車から斜里岳を眺めながらのドライブを楽しんで、清里のきよーるに行ったりしてきました。
北見でピアソン夫妻のカードだけもらう
最終目的地に考えていた、ピアソン記念館につけたのは閉館5分前でした。
事前に電話にて先人カードの有無を確認していたので、受付でその旨を伝えるとカードだけ頂く事ができました。
時間がなくて見る事はできなかったので、次回またオホーツク地方に行く事があれば是非行きたいと思います。
ピアソン夫妻って?
- 明治開拓期の北海道にいたアメリカの宣教師夫妻
- 開拓民や監獄の囚人にキリスト教伝道をしていた
- 十勝晩成社幹部の妻・渡辺カネとも親交があった
ピアソン夫妻目線で見た当時の北海道を知るのも、また面白いんだろうな、と思っていたので記念館を見られなかったのは本当に残念です。
旅の感想まとめ
十勝から根室→清里→北見と、ぐるっと道東一周旅行になりました。
中標津町の中標津郷土館も旅の目的地にしていましたが、残念ながら臨時休館となっていました。
色々と思い残しのある旅程になりましたが、また時間がある時にリベンジできたらと思います。
以上、おかめの記録日記でした。