小林重吉について
- 代々栖原屋と繋がりがあった商人の5代目
- 祖父の代から三石場所請負人も勤める
- 重吉の代から屋号を小林屋に
- 箱館戦争の時には佐野と一緒に新政府を助けた
- 中国に昆布輸出をして三石昆布を有名にした
人柄も良く、和人にもアイヌの人々にも等しく接してとても慕われていたのだとか。
三石に商船学校を作って自腹で宿舎などを作ったり、地域のインフラ整備や開発、様々な事に寄付をしました。
世間的に名を知らしめたい!というタイプでは無かったと言われています。
三石昆布
- 北海道の三石(襟裳岬周辺)で採れたのでこの名がついた
- 柔らかく煮えやすく、様々な使い方が出来る
- 採れる地域によって日高などの地域の名がついている事も
1878(明治10)年に重吉が日高の三石に昆布の製造所を作り、昆布の製造方法などを改良しました。
質の良い三石昆布は日本だけでなく中国でも人気になり、三石昆布の名前は更に広まりました。
今では三石昆布よりも、日高地方で採れるから日高昆布と聞く方が多いかも知れません