鍋島直正について
- 肥前藩(現・佐賀県)10代目藩主
- 倹約を大事にし、近代化にも積極的だった
- 1869(明治2)年に開拓使長官になる
- 在任中に蝦夷→北海道に名称を変える
- 病気を理由に約2ケ月で辞退
黒田藩(現・福岡県)と共に長崎警備についていた関係で北方の守りにも強い関心を持っていました。
安政4年には島義勇を北海道に派遣して現地を見て回らせていたり、明治に入っていきなり北海道に関係するようになった、というワケではないようです。
箱館戦争が終わってすぐに北海道開拓の話が出て、開拓督務に直正が選ばれています。
義勇・松浦武四郎・通俊などを蝦夷地開拓御用にして、北海道の開拓について準備体勢を整えていました。
長官を辞めた後も、お金のない開拓使の為に資金提供をしたりしています。
直正自身は病気で移住できませんでしたが、佐賀藩が担当になった約630人を現在の釧路地方・厚岸郡浜中町に移住させています。
開拓使と道庁
- 1869(明治2)年7月から開拓使が作られる
- 1882(明治15)年2月に廃止
- 初代は鍋島直正、2代目は東久世
- 3代目は黒田、4代目が西郷従道
- 歴代最長は黒田清隆
開拓使廃止後は一瞬(1882~1886年)だけ、北海道は札幌県・函館県・根室県に分けられました
しかし、色々不都合などもあって1886(明治19)年に北海道でひとつのまとまりに戻され、新しく北海道庁が作られました。