岩村通俊について
- 土佐藩の家老の家に生まれる
- 1869(明治2)年、開拓使の役人として箱館に赴任
- 1870(明治3)年には島の後任として札幌に赴任
- 御用火事をおこしたり、ススキノ遊郭を作ったりした
- 1873(明治6)年に黒田との衝突で開拓使を辞職
- 1886(明治19)年に北海道庁が置かれ、初代長官になる
- 上川離宮計画を積極的に考えた
薩摩出身の黒田と、土佐出身の岩村という事で派閥が違うというか、政治的なアレコレもあって開拓使を辞めさせられました。
開拓使→三県一局→北海道庁開設で、再度北海道に戻ってきました。
監獄の囚人をゴリゴリ使うようになっていったのもこの頃からです。
上川離宮=天皇陛下の離宮を上川地方に作って国民の心を鼓舞しよう!という計画でしたがおじゃんになりました。
御用火事
開拓者の住んでいた家を良くする為の火事でした。
- 札幌の冬が寒いから火を付けて暖を取る
- 住んでいたのが草でできたような家だったから燃える
- お金貸すから燃えにくい家作ってと岩村が指示
- でもいつまでも茅葺きな家のまま
岩村
よし、燃やそう
一応事前にお知らせをして、御用の旗を立てて、部下達に指示して町を燃やしました。
辞職覚悟の荒療治でその後はきちんとした家が建ち、この時消火活動を行った事で札幌の消防隊も誕生しました。
- 町作りの為にも労働者がたくさん必要
- でも寒くて娯楽も無くてツラくて逃げ出す人続出
- イラだった人で暴力沙汰など治安も悪くなる
岩村
よし、娯楽(遊郭)を作ろう
東京から遊女を招いて、ススキノ(薄野)遊郭という歓楽地を作りました。
遊郭の善し悪しについては置いておいて、労働者のやる気向上になり、治安も良くなりました。今でも札幌にある、歓楽街・すすきのを作った人でもあるんですね。