黒田清隆ってどんな人?【開拓神社の御祭神】
okamehan
きたうみ日誌
西洋農機(プラオ)を導入した先駆けと言われたり、西洋果樹や甜菜、菜種を作ったりしました。
移住は複数回に分けて行われ、その中で義理のお母さんにあたる貞操院もお引っ越しをしていたり、兄・邦直と吾妻主従が北海道の現地視察に行く為に船に同乗していたりしました。
明治9年には約150人が屯田兵のお手本として山鼻に移住していたり、明治14年の内国勧業博覧会では賞状をもらうまでになっています。
本名は伊達保子(やすこ)で、出家名が貞操院です。
邦成にとっては義理のお母さんにあたります。
集団移住の際に邦成が行くなら私も、と北海道へやってきました。
移住する人々はとても喜んで、その存在が励みになったと言われています。