武田信広について
- 1457年頃に檜山・上ノ国の蠣崎家の館にいた人物
- コシャマインの戦いが起こった時には先鋒として戦う
- 蠣崎の養女と結婚して家を継ぎ、蠣崎信広になる
- 後の松前氏のはじまりの人
出自は若狭の守護・武田家の嫡男だったが乱暴者だったので家を追い出されたとも、若狭の商人だった、とも言われています。
コシャマインの戦い
細かい話になると長くなるので、ざっくり要点だけをかいつまんで簡単にまとめるとこんな戦いです。
- 1456(康正2)年に起きた本州出身者とアイヌ民族との戦い
- 函館の鍛冶屋と、小刀(マキリ)の製造を頼んでいたアイヌ民族との間に起こったトラブルがきっかけ。
- 時函館周辺を治めていた安東氏の居城をアイヌ民族の首領・コシャマインが当仲間を率いて和人の館を襲撃
- 武田信広も参戦して戦い、最終的に七重浜でコシャマイン親子を討ち取った
通説で語られている内容と事実は多少異なる点があるとも言われているので、これから要勉強したいと思います。