移住4世の私が想う多面体の北海道と子供に伝えたいこと

どう答えますか?
北海道の歴史について子どもに聞かれたら、あなたはなんて答えますか?
古くからアイヌの人が住んでいた土地?
昔から島流しの場所とされていた?
松前藩が場所請負で商人に任せたらアイヌの人々にひどいこともしていた?
明治前後に開拓が進んだ?
明治前後にアイヌの人から土地を奪って開拓を進めた植民地?
明治前後に他国の侵略を防ぐためにも早急に開拓する必要があり、その中でさまざまな軋轢や悲劇が生まれた?
北海道のご飯が美味しいのは、これまでに頑張った人たちがいるから?
北海道には昔監獄があって、逃げたら寒さで死んでしまう人もいたんだよ?
北海道は寒くて住めなかったけど、明治前後に人がたくさん住むようになったんだ?
和人はアイヌ民族にひどいことをしてきた加害者だって知ってる?
あなたは、なんて伝えていますか?
私自身、自分の中でこの問題とどう向き合えば良いのか、長い間悩んできました。
そして自分の子どもが生まれた事で、子たちには親として、どう伝えたら良いのかも考えるようになりました。
改めて先人たちの歴史を学ぶ中で、私は自分の中にあった問いに、一つの答えを見つけました。
私のアイデンティティ
子どもの頃から抱えてきた違和感
小さいころから、本や郷土史の授業で「アイヌ民族は和人に迫害され、酷い扱いを受けてきた」という話にたくさん触れてきました。
日本の大筋の歴史には近世代になるまで北海道がほとんど出てこないし、日本の神話や古事記には北海道がほぼ出てきません。
それがまるで仲間外れのように感じられて、自分のルーツをどこに置けばいいのか分からなくなっていました。
「和人=加害者」「本州ルーツの人間=加害者」というイメージが頭に刷り込まれ、自分もその加害者側なのだと感じるようになっていきました。
憧れと罪悪感
本当は子どもの頃から、アイヌ文化そのものに強い興味がありました。
民話や神話を読み、暮らしや生き物の名前をアイヌ語で覚えてみたり、地域で開催されてるアイヌ文化のイベントに行って刺繍の体験などをしてみたり。
でもある程度大人になってくると、「この文化を壊したのが、自分と同じルーツを持つ人たちだ」と思えてきて、どうしても暗い気持ちになってしまう――そんな状態が長く続きました。
アイヌ民族をテーマにしたテレビ番組を見ると、「自分が責められている」ような気持ちになり、最後まで見るのが苦しくなることもありました。
おとしどころが分からないまま大人になり、SNSでは極端な論調のやりとりを何度も目にしました。
歴史を調べて見えてきたこと
北海道や歴史全体への興味もあり、調べ続けるうちに気づいたことがあります。
- 明治以前から、本州とアイヌの人々は交易や交流をしていた
- 今の北海道を形作ったのは、明治時代の新政府や開拓者
- アイヌの人々の中にも、和人のような家や仕事を望み、言葉を覚えながら自分たちの文化を残そうとした人がいた
この事実を知って、少しずつ「加害者・被害者」の単純な図式では語れない複雑さを理解するようになりました。
極端な意見への疑問
世の中には、こんな極端なことを言う人もいます。
「加害の果てに作られた道産のものを食べるな」
「アイヌの人に住まわせてもらってるって気持ちを持て」
でも、そんな言い方は別の差別を生むだけです。
その反動として「アイヌ民族はもういない」「今のアイヌは偽物だ」といった別の極端な意見も出てくるのだと思います。
北海道の明治以前からの流れや、アイヌ民族と本州から来た人々の交流、そして開拓せざるを得なかった理由。
その全部を含めて語らないと、現実の北海道を理解することにはならないのではないでしょうか。
私のルーツと立ち位置
祖父母の家は父方も母方も北海道にあります。
私は「北海道生まれ世代の二代目」という感覚をずっと持っていました。
でも、「移住4世」という言葉で自分を捉えたのはつい最近です。
北海道の歴史、特に明治時代の開拓移住につい触れる中で、父方の曽祖父母もその当事者達だったと改めて理解できた形です。
アイヌ文化への敬意と興味を持ちながら、自分のルーツにも誇りを持てるようになりたい。
その気持ちが強くなりました。
加害者・被害者という単純な二分法を超えて、複合的で現実的な北海道の理解を目指したい――それが、移住4世としての私のアイデンティティです。
北海道の歴史の複雑さ
北海道の歴史の複雑さ
「アイヌ民族は和人に迫害され、ひどい扱いを受けてきた」
これはよく聞くフレーズです。
確かにそれは事実の一面でもあります。でも同時に、最上徳内や松浦武四郎とアイヌの人々との関係はどうだったのでしょう。
彼らは道案内をしてもらい、地名を教わり、時には対等な関係で協力し合っていたとされています。
博物館でアイヌの人々と和人の交易でやりとりされた漆器などを見ることもできます。明治以前からの長い交流の歴史があったことを実感させてくれる存在です。
実際、酒はアイヌ語で「トノト」=殿と飲むもの、殿にもらうもの(諸説ありますが)と言われていたり、嗜好品のタバコや刺繍に必要な針なども交易で得ていました。
博物館に交易で受け取ったものが綺麗な状態で展示されているあたりを見ても、和人から受け取ること自体が悪いことではなかったのだろうと思うのです。
「ひどい扱い」の背景
この「ひどい扱い」というのは、松前藩が自分たちで北海道全体を治めきれないため、各地に「場所」を作って、その場所を請け負った一部の商人などがひどい扱いをしていた、という話や明治時代の性急な政策の中で起きた事をさすことが特に多いと感じています。
構造的な問題が個人レベルでの悲劇を生んでいたのではないでしょうか。
アイヌの人々の多様な姿
SNSなどで「アイヌ民族は戦いを好まない」「だから和人にひどい扱いをされた」と言う論調を目にする事があります。
でも、アイヌの民話を読んでいると、十勝アイヌと日高アイヌは隣同士だからかちょいちょい戦っていて、「同じ源流をもつ川に暮らしているんだから仲良くしようよ」みたいな話もあるくらいです。
シャクシャインの戦い(蜂起)というものもあって、ただひどい目に合わされるのを甘んじて受けていたわけではないはずだと、私は思っています。
だって、和人が積極的に住もうとしなかった北の大地に主に狩猟と採集で生きてきた人々です。一方的にされるだけの、弱い存在ではなかったと思っています。
交流と結びつきの現実
それに、もしひどいことをしてきて「和人は全て悪」というなら、十勝音更に移住していた大川宇八郎がアイヌの女性を妻にするのは無理があったと思います。
晩成社の下調べで一人残ってマラリアに苦しめられた鈴木銃太郎だって、「和人は恐ろしいから近寄るな」で放置されていてもおかしくなかったと思います。
でも、実際はアイヌの人々に看病をしてもらったり、芽室にあった集落の娘さんを妻に迎えているので、当時の人々の中で「和人は全て悪!」ではなかったんじゃないかと思うのです。
しかし一方で、本州から渡ってきた人が感染症(天然痘など)をもたらしてアイヌの人口が減ったという話があるのも事実です。
晩成社が開拓で移住した時には近くに住んでいたアイヌの人々は怖がって逃げたという話もあります。
ただ、晩成社の人と一緒に畑を耕したり、政府から派遣された人に農業指導を受けたり、渡辺カネさんがアイヌの子どもたちにものごとを教えていたという話もあるのです。
明治期開拓の複雑さ
明治期の開拓は、国際情勢や国防の必要性、そして故郷を離れざるを得なかった人々の必死の思いが重なった結果でもありました。
開拓使でもアイヌの人々に心を砕いた役人もいたし、性急な政策を推し進めた人たちもいます。
一筋縄では語れない、複雑な時代背景があった結果が、現在の北海道に続いていると私は思います。
私の身近な体験から
確かに、開拓で入ってきて嫌な思いをしたり、新政府の方針で理不尽な目にあったり、明治以降も様々な体験をした人はいると思います。
ただ、アイヌルーツの人も身近にいましたが、私はその人から差別体験を聞いたことがありません。
言いたくなかったのか、そういう経験がなかったのかは分かりません。そして、その人に対して「アイヌだから」ということで何かをする人もいなかったので、実際のところは分からないのです。
この「分からない」ということ自体が、北海道の現実の一面なのかもしれません。寝た子を起こすような話になる部分もあるため、その辺りは私からはできない話だなと感じています。
私なりの答え
北海道の歴史に触れる中で見つけた私の答えは、「北海道は一言では語れない」というものでした。
善悪で単純に分けることもできないし、一つの物語で説明することもできない。複雑で、矛盾に満ちていて、それでいて人間らしい歴史がそこにはある。その複雑さをそのまま受け止めることが、北海道で生きる私たちにできることなのではないでしょうか。
極端な偏りが生む危険性
私が危惧するのは、こうした決めつけや偏った考えが、建設的な対話の道を閉ざしてしまうことです。
極端な論調は「偽アイヌ論」のような極端な反発も生み出し、結果的に対立を深刻化させてしまいます。
また、外部から「植民地」「加害者」と決めつけられることで、北海道で生まれ育った人々が自分のアイデンティティに混乱を感じたり、故郷への誇りを持ちにくくなったりする問題もあるのではないでしょうか。
子どもの頃の私が、北海道の歴史は和人が悪いになりがちだから触れたくないと思って避けたように。
当事者の声に耳を傾ける
私は当事者にはならずに生きてきました。
そして、アイヌルーツの方々がこうした状況をどう感じているかは、直接聞けるような話ではないので、理解できてないのが現状です。
なので、推測で語るべきではないと感じています。
ただ、外部の人間が一方的に「こうあるべき」と決めつけるのではなく、実際に北海道で生きている様々な立場の人々の声に、まずは耳を傾けることが大切だと感じています。
当事者ではない立場だからこそ、想像や推測で語らず、直接の声を尊重したいと思います。
アイヌルーツの方々の声も、本州ルーツの方々の声も、それぞれに重要な意味があるし、受け止めて理解する事が大事だと思うからです。
子どもたちに伝えたいこと
私は、私の子どもたちに「あなたたちには、生まれた時から罪や責任を背負っている」かのように教えたくはありません。
そうした教え方は健全ではないし、対等な関係を築くことを阻む足かせになるからです。
代わりに、伝えたいと強く思うようになったことがあります。
様々なルーツを持つ人々が、それぞれの事情を抱えながらこの北海道にやってきて、共にこの土地を作り上げてきた歴史があること。
アイヌの人々の知恵も、移住者たちの努力も、すべて今の北海道につながっていること。
お互いの文化や歴史に敬意を持ち、「北海道の未来を作る一員」として誇りを持って生きてほしいのです。
様々な年代に書かれた、様々な人による「北海道」についての本などを読み、SNSで語られるような極端な考えにも「なぜそう思うのか?」を考えられるようになって欲しい。
誰かがそう言っているから、ではなく、自分は色んな事を踏まえた上で、北海道を取りまく事柄についてこう思う。と、自分の考えを持って欲しい。
それぞれの答えや考えが違っていても、自分でこの問題に少しでも向き合える姿勢を持てるようになってほしい。
私はそう思うし、そう伝えたいのです。
北海道は多面体
私は北海道を「多面体」だと思っています。
どの角度から見るかによって、違う面が見えてきます。
加害の歴史もあれば、協力の歴史もある。
対立もあれば、交流もあった。残酷な側面もあれば、文化の交わりもあったはずです。
真実の一部分を切り取って、こうだった、とは言えない場所だと思っています。
一つの「正解」で割り切ることはできない、でも、その複雑さこそが北海道の豊かさだと思うのです。
立体的で多面的だからこそ、この土地は美しいと心の底から想っています。
おわりに
会津藩に関係した出自の曽祖父母を持つ私が、明治政府関連の人たちの子孫に「加害者だ」と言えるでしょうか。
歴史は複雑で、誰もが様々な立場に立ちうると思うと、そんな事は私は言えないし言える立場でもありません。
言えるとしたら、当時を生きた人々だけです。
だからこそ、単純な決めつけではなく、お互いの歴史と現在を大切にしたいと思うのです。
私は複雑な歴史を抱えた、このいびつな北海道を愛しています。完璧ではないけれど、それが私たちの故郷です。
道外出身で今の北海道を見つめる方には、もしかしたら想像しにくいかもしれません。
けれど、ここで生まれ育った私たちには、その複雑さを受け入れる責任があると思っています。
どうか、極端な論調に惑わされず、歴史の複雑さを自分で触れて考えてくれますように。
加害者と被害者という歴史の区分を超えて、この多面体の北海道で生きる仲間として、共に未来を築いていく事を考えられますように。
これからを生きる次世代が誇りを持って北海道で生きられるようになりますように。
これが、今の私の願いです。
長くなりましたが、この文章が同じような思いを抱える人々の心に届き、建設的な思考と知る事のきっかけになることを願っています。