伊達邦直について
- 仙台藩・岩出山領主の長男に生まれる
- 伊達邦成は実の弟
- 明治2年に家老の吾妻謙と北海道開拓を願い出る
- 明治3年、割り当ての空知郡に行くが土地が悪く
- なんだかんだで石狩地方・当別に移住
- 移住した人々を指導しつつ皆で頑張った
戊辰戦争で仙台藩は旧幕府側についていたため、石高(財力的なもの)ががっつり減らされました。
仙台藩の中の各領地も、今までのように藩士や領民を養っていられなくなりました。
このままじゃどうしようもない!という事で新天地・北海道に移住して生きていく覚悟を決めたのでした。
開拓が上手く進まずにお金が足りない時は、開拓使の土木作業に参加してお金を稼いだりもしています。
当別に至るまで
- 空知郡の開拓を許可される
- でも交通が不便でダメになる
- 石狩の川沿いを希望する
- でも許可が下りなかった
- ので近くの聚富(しっぷ)に入る
- 土地が悪くて努力が報われない
- 当別の土地が良いって聞いて移住
移住当初から土地と苦戦して当別(札幌の近く)に落ち着きました。
明治5年には東京の開拓使官園に若者を送って新しい農業を学ばせたり、養蚕や麻、西洋果樹など様々な事に挑戦しました。
仙台藩と札幌
仙台藩・白石城主の片倉(小十郎)邦憲の家臣達も、戊辰戦争後に北海道へ開拓移住しました。
- 胆振地方・登別市
- 札幌市・白石区
- 札幌市・手稲区
にあたる場所を片倉家に関わる人々が開拓しています。
故郷の名前から、移住した先を白石村、と名付けて開墾作業などを頑張っていたものの、ソリが合わない!という人達が分裂し、手稲村を作りました。