東久世通禧について
- 京都の公家の生まれ
- 孝明天皇に幼少から側近として仕えた
- 七卿落ちの後、王政復古で帰京
- 戊辰戦争では新政府側の参謀に
- ガルトネル事件など外国人との交渉を務める
- 1869(明治2)年に開拓使2代目長官として箱館へ
1871(明治4)年の秋、侍従長になり北海道からは離れます。
その後は岩倉使節団の1人として外国に行っていたり、伯爵になっていたり、政治に関わっていたり華々しい経歴の持ち主です。
2代目開拓長官
初代鍋島直正が病気で辞退したため、北海道に開拓使の役人達が北海道へ渡ったのは開拓使2代目長官・東久世の代からになります。
1869(明治2)年9月に開拓使の役人や農工民達と品川から箱館へ
- 箱館→東久世と補佐役の岩村通俊
- 樺太→岡本監輔
- 後志&石狩→島義勇
- 根室→松本十郎
- 宗谷→竹田信順
がそれぞれ赴任し、仕事にとりかかりました。
費用を使いすぎた島に代わって開拓使の本庁を札幌に作ったり、場所請負人制度の廃止を行ったりと開拓の基盤を作っています。