井上長秋について
- 井上岩見とも呼ばれている
- 薩摩藩藩主・島津家に関係がある諏訪神社の家に生まれる
- 1868(明治元)年、清水谷の補佐として箱館に赴任
- 択捉視察後に船ごと行方不明
人が少ないから機械を使って北海道の産業を豊にしよう!と考えていた1人でもあります。
択捉を見て、箱館に帰ろうとした時に乗っていた箱館丸ごと行方不明になってしまいました。
北海道に行って4ヶ月もしない位の悲劇。
明治維新前後の時には島津久光が上洛する時に付いていっていたり、岩倉具視と薩摩藩の間の連絡係として活躍していたそうな。
新政府が出来た時には、小松帯刀や西郷隆盛、大久保利通などと一緒に登用されています。
行方不明になる前には、ガルトネルを雇って洋式農場を開こうとも考えていました。
ガルトネル開墾条約事件
箱館にいたドイツ(プロシア)領事館の兄弟が、
- 1867(慶応3)年に箱館奉行所から農場を作る許可を貰う
- 箱館裁判所に代わり、清水谷・井上とも面会して権利を認めて貰う
- 1869(明治2)年、箱館を攻略した榎本から99年は借りられる権利を認めて貰う
事で箱館の七重(現・七飯)がガルトネル兄弟に貸し出される形になっていました。
東久世が2代目開拓長官として箱館に赴任した際、この約束は不味すぎるだろう!という事で問題になりました。
当時、外国では余所の国を自分の良いようにするのによく使われていたやり方をガルトネルは行っていると考えられたからです。
なんとか国際問題にならないよう、お金を払ったり神経を使ったりして東久世は約束を無かった事にしました。
しかし、兄弟が使っていた土地は洋式のやり方・機械が使われていたので、その後の北海道農業にすごく良いお手本になりました。
七重農業試験場として、果物や野菜、穀類などを試作する官営農場になったのでした。