江戸時代に蝦夷を調査した間宮林蔵ってどんな人?何をしたの?間宮海峡ってどこ?【北海道の歴史】
okamehan
きたうみ日誌
薩摩出身の黒田と、土佐出身の岩村という事で派閥が違うというか、政治的なアレコレもあって開拓使を辞めさせられました。
開拓使→三県一局→北海道庁開設で、再度北海道に戻ってきました。
監獄の囚人をゴリゴリ使うようになっていったのもこの頃からです。
上川離宮=天皇陛下の離宮を上川地方に作って国民の心を鼓舞しよう!という計画でしたがおじゃんになりました。
開拓者の住んでいた家を良くする為の火事でした。
[chat face=”man1″ name=”岩村” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]よし、燃やそう[/chat]
一応事前にお知らせをして、御用の旗を立てて、部下達に指示して町を燃やしました。
辞職覚悟の荒療治でその後はきちんとした家が建ち、この時消火活動を行った事で札幌の消防隊も誕生しました。
[jin-iconbox03]ススキノ遊郭[/jin-iconbox03]
[chat face=”man1″ name=”岩村” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=””]よし、娯楽(遊郭)を作ろう[/chat]
東京から遊女を招いて、ススキノ(薄野)遊郭という歓楽地を作りました。
遊郭の善し悪しについては置いておいて、労働者のやる気向上になり、治安も良くなりました。今でも札幌にある、歓楽街・すすきのを作った人でもあるんですね。