幕末・明治・江戸時代以前に北海道と関係があった人物・出来事を簡単まとめ【開拓神社御祭神37柱総一覧】

北海道の歴史は浅い、と言われがち&思いがちですよね。
しかし、実際にはかなり特殊で、時期によっては濃ゆい歴史があります。
特に、北海道の幕末明治頃は急激に色んな事が発展&変化していった時期。
今回はその中でも、江戸時代以前から幕末明治期に活躍した有名人たち、開拓神社の御祭神37柱と北海道の歴史を絡めて、簡単に分かりやすくまとめてみました。
開拓神社って?
北海道の発展に関係が深い人が祀られてる神社だよ
- 北海道開拓70周年記念として
- 1938年(昭和13年)に
- 北海道神宮敷地内に作った開拓神社に
- 北海道開拓に関係した人が選ばれて祀られた
松浦武四郎や黒田清隆、伊能忠敬といった日本史の教科書にも載っている超有名人をはじめ、
依田勉三など関係した地域の地元民にとっての有名人などがいます。
明治新政府の役人や、江戸時代からの商人たち、松前藩や開拓移住者などなど出自や出身地もバラエティに富んでいます。
- 北海道の歴史が気になる
- 北海道の歴史に関係した人が気になる
- 幕末明治期の北海道が気になる
- 博物館に行って気になるようになった
- 簡単に分かりやすく要点だけ知りたい
という方が、明治幕末江戸時代以前な北海道の歴史に触れるきっかけになれば幸いです。
より分かりやすくするため、関係性の強いグループごとに分けてみました
※勉強中のため、リンク先の話が長かったり短かったりしてます。
江戸幕府関係
江戸時代後半頃から、幕府はそれまで松前藩に任せきりだった北海道の事を気にし始めました。
ロシアなど外国の船が北海道の沿岸によく来るようになったからです。
北海道を守る為に警備や開拓が必要だと考え、調査をするために役人を派遣したり、商人に色々な事を任せたりしました。
本多利明

最上徳内の先生。北海道をロシアなどから守る為には…なことを考えてました。
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伊能忠敬

55歳から地図作りを始めた人。北海道も歩いて測って地図を作った。
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続豊治

高田屋嘉兵衛の元でも働いてた船大工。西洋型の船を造ろうとした。
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松川弁之助

五稜郭の建設にも関わったチャレンジャー。
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早川弥五左衛門

江戸時代に樺太開拓頑張るぞ!とチャレンジしてた人。
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北方探検・調査した人たち
幕府の命を受けて、北海道や樺太、北方四島を探検・調査した人たちがたくさんいました。
東北の藩士も苦戦した北海道の冬を越したり、ロシアとのいざこざに巻き込まれたりしています。
最上徳内
江戸時代の北方調査といえばこの人。アイヌ語もペラペラだったそう。

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近藤重蔵

北方調査人。最上徳内と一緒に択捉に行って、大日本恵登呂府の標柱を立てた。
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松田伝十郎

間宮林蔵と一緒に樺太を見て回った人。
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間宮林蔵

樺太と中国大陸の間にある海峡に名前がついた人。伊能忠敬の弟子とも。
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松浦武四郎

北海道の名づけ親として有名な人。十勝日誌とか○○日誌として北海道を見て回った話をまとめてる。
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岡本監輔

樺太が気になって樺太に住んだりした人。
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商人たち
松前藩や幕府だけでは、北海道の各地にまで手が回りませんでした。
そのため、商人たちの力を借りて各地の運営や開墾・漁法の改善などを任せていたりもしました。
高田屋嘉兵衛

北海道の商人といえばこの人。最上徳内、近藤重蔵を船に乗せる事も。
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村山伝兵衛

江戸時代の北海道各地に漁場などを持っていた。複数代続いた商人。
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鈴鹿甚右衛門

江差で複数代続いた富豪な商人。代々甚右衛門と名乗っていた。
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小林重吉

日高の三石の商人の五代目。中国に三石昆布を輸出して有名にした。
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栖原角兵衛

北海道内の漁場を受け持っていた商人の1人。
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佐野孫右衛門

江戸時代の釧路にいた商人。今でも釧路の米町として名前が残っている。
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明治新政府
明治新政府が誕生して、北海道の開拓の為に開拓使が設置されました。
農業など産業の先生として外国から人を招いたり、屯田兵などを住まわせて北海道の開拓・警備にあたらせたりしました。
現在の北海道に繋がる、様々な影響を与えました。
鍋島直正

開拓使初代長官(病気で約2ヵ月で退任)。島義勇の上司的な人。
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島義勇

札幌に北海道神宮の三神を背負ってやってきた。計画が壮大すぎて約3ヶ月で北海道を離れる。
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井上長秋

さあこれから北海道で頑張るぞ!というところで行方不明になった人。
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清水谷公考

京都の公家の人。箱館戦争のちょっと前から箱館裁判所に勤めてた。
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東久世通禧

2代目開拓長官。京都の公家出身。
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黒田清隆

開拓使、といえばこの人。ケプロンを招いたり、ビール作らせたり。
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岩村通俊

すすきのに遊郭を作ったり、敢えて火事を起こしたり。
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永山武四郎

屯田兵といえば、の人。旭川の永山の名前の由来にもなった。
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開拓者たち
明治時代からは新政府の政策もあって、開拓移住者がたくさんいました。
試行錯誤を繰り返して、北海道で果敢に生きた人達の努力が、今の北海道の姿にも繋がっています。
佐藤信景

江戸時代に釧路で米作りに成功した!と言われてるけど…?な人。
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伊達邦直

仙台藩・岩出山領主の長男。明治3年に石狩当別に移住。
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吾妻謙

邦直に仕える。北海道へ移住する為に色々頑張った。着いてからも頑張った。
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伊達邦成

伊達邦直の実の弟。明治3年に胆振の虻田・伊達に移住。
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田村顕允

邦成に仕える。常盤の苗字を坂上田村麻呂にちなんで変えて移住に臨んだ。
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依田勉三

十勝開拓の先駆け的存在。困難エピソードが豊富すぎる。
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松前藩関係
江戸時代以前から、北海道にはアイヌの人々や本州からの移住者が暮らしていました。
ある時から誕生した北海道唯一の藩、松前藩は米が取れないという事もあり、特殊な存在でした。
武田信広

松前氏の始まりともいえる人。蠣崎氏に婿に入って蠣崎信広になった。
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松前慶広

豊臣秀吉に会いに行って、蝦夷当主と認められた人。1599年から蠣崎→松前に改姓。
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松前徳広

病弱で家臣の跡目争いに巻き込まれたり、人生ずっとゴタゴタしてた人。
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下国安芸

徳広を支えた家臣。戊辰戦争の時は主君を守るために頑張った。
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田崎東

徳広を跡目争いに勝たせるために頑張ったり、戊辰戦争で旧幕府側と戦ったりした人。
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中川五郎治

ロシアの船に捕まったものの、ロシアで種痘を学んで天然痘の種痘ができた人。
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最後に
札幌にある北海道神宮の境内にある開拓神社に祀られている人々について、調べた事を簡単にまとめてみました。
また、北海道ではアイヌの人々も生活を営んでいました。
今回のまとめではあくまで開拓神社の御祭神や、北海道の幕末明治頃の事柄などについて焦点をあてたものとなっております。
私自身もまだ勉強が足りない部分もありますので、今回はアイヌの人々について、詳細な項目を設けませんでした。ご容赦下さい。
以上、37人の内では特に依田勉三に思い入れのある十勝民・おかめでした。
参考文献
北の先覚 高倉新一郎
開拓の群像 「開拓の群像」刊行委員会
ほっかいどう百年物語 STVラジオ編
北の墓 歴史と人物を訪ねて上 合田一道・一道塾
古文書が伝える北海道の仰天秘話51 合田一道
ほっかいどう先人探訪 読売新聞北海道支社編集部編
島義勇伝 「島義勇伝」製作委員会・エアーダイブ
御朱印帳とめぐる北海道の神社70 梅村敦子
北海道ゆかりの人びと 墓碑を訪ねて 高木祟世芝
北海道の歴史がわかる本 桑原真人・川上淳
ニッポンを解剖する!北海道図鑑 JTBパブリッシング
北海道遺産完全ガイド 佐藤圭樹
依田勉三と晩成社 井上壽・加藤公夫
など