佐野孫右衛門について
- 初代は新潟県出身の商人・米屋の4代目
- 2代目から釧路場所を請け負っていた
- 樺太の場所経営を幕府から任されるも辞退
- 明治維新後に戸籍を釧路に移した
箱館から釧路に人を移住させたり、アイヌの人々に農業を教えて、地域の農業開発にも力を入れていました。
箱館戦争の時には小林と一緒に新政府側の味方をしています。
釧路が佐賀藩の管轄になった際には1度釧路を離れていますが、佐賀藩ではうまくいかず、開拓使の指示もあって釧路に戻りました。
移住者が安心してくらせるよう、病院を作ったり地域住民の為に私財を使うなど、仁義に篤い人だった為に慕われていたそう。
今でも釧路に米町(よねまち)という地名として名前が残っています。