開拓神社の御祭神の1人、続豊治ってどんな人?
をざっくり簡単にまとめてみました。
続豊治は船大工
- 船大工の養子として育ち、嘉兵衛の作った造船所で働き始める
- 造船所が無くなってしまった後は仏壇師になってみたり
- 箱館の港に来ていた外国の船に侵入→奉行所に突き出される
- 奉行所で雇って貰い、外国船の中を仕事で見られるように
- 独自で和洋折衷の船を作り上げると、出来の良さを奉行所に認められる
真面目に働くタイプだったので仕事ぶりが認められ、嘉兵衛の弟に本州の名所・史跡巡りに連れていって貰ったりしています。
箱館丸・亀田丸
- 豊治の作った和洋折衷の船
- 箱館と江戸の行き来をするのに使われた
- 武田斐三郎が生徒に航海技術を教える為にも使われた
- 函館では復元された箱館丸を見る事もできる
箱館と青森を結ぶ、津軽海峡を行き来する船・豊治丸も作り、これが青函連絡船の元になったとも言われています。
福士成豊
- 続豊治の次男
- 箱館在留の英国商館で英語勉強を兼ねて働いていた
- ブラキストンの元で測量などを勉強
- 明治になってからは開拓使の役人になる
- ケプロンが北海道調査に派遣したアンチセル達の通訳として、測量担当として同行した
新島襄がアメリカに密航して行こうとしたのを手助けしていた人です。
開拓の村に行くと成豊の自宅が保存されているのを見られます。