御雇外国人のホーレス・ケプロンやエドウィン・ダン、クラーク博士について簡単まとめ
okamehan
きたうみ日誌
中川がロシアで入手した本はジェンナーが書いた本で、後に翻訳され『遁花秘訣』として出版されました。
この本は、当時の種痘に関する内容の最先端だったそう。
天然痘が蝦夷で流行た時には松前藩の元で、日本として最初の種痘を行っています。
五郎治が逃げたから代わりの日本人を用意しよう!と、捕まったのが商人・高田屋嘉兵衛です。
蝦夷では本州からの人の行き来が増えた、1799(寛政11年)以降から流行がひどくなっていったと言われています。
その為、数年おきに種痘が行われ、大流行を防げるようになりました。