松前慶広について
- 武田(蠣崎)信広から数えて蛎崎家の5代目
- 安東氏の家来だったけれど、勢力を強めて独立した
- 豊臣秀吉に会いに行って、蝦夷当主として認められる
- 徳川幕府が開かれてからは松前藩に
- 米が取れない地域だったのでアイヌ民族や本州の商人との交易で収益を得ていた
1590(天正18)年に豊臣秀吉にはるばる会いに行っていたり、秀吉が朝鮮出兵の関係で肥前(佐賀県)にいる時も陣中見舞いをしに行っています。
ちなみに関ヶ原の戦いには不参加でしたが、大阪夏の陣には徳川方として参戦しています。
おかめ
松前藩の初代藩主って事ですね
松前の姓
1599(慶長4)年頃から蠣崎から松前に姓を変えています。
- 蠣崎氏がいた土地の地名をアイヌ語で言った音から取った
- 前田利家&松平(徳川)家康から一字ずつもらった
など諸説があります。
なんで前田利家?徳川家康?となりますが、豊臣秀吉に会うのに色々お世話になったからなんだとか。