北海道の最北端、間宮林蔵が樺太(現・サハリン)に渡った場所でもある宗谷地方・稚内に行って来ました。
- 冬の宗谷岬に行きたい
- 間宮林蔵を感じたい
- 宗谷岬の歌って良いよね!
- 樺太記念館ってどんなところ?
- 稚内に行きたいと思っている
という方の参考になれば幸いです。
冬の宗谷岬
天気が良いと遠くに樺太(サハリン)が見える
十勝からはるばる車でオホーツクの海岸沿いを走りつつ(休憩などを除き)片道約7時間。
日本最北端の岬、宗谷岬にたどり着きました。
丁度天気も良く、宗谷岬の碑の向こうには樺太が見えました。
ゴールデンカムイの作中でも出ていましたが、日露戦争で南半分が日本領になり、その後太平洋戦争を経て、今ではロシアの領地、サハリンです。
日露戦争の前、明治初期にはロシアと樺太を巡って千島列島を日本、樺太をロシアの領土としていました。
その際、樺太に住んでいたアイヌの人々を「樺太が見える稚内に移住させてあげたい」と尽力したのが開拓使の役人であった松本十郎です。
しかし、対雁(今の江別)に移住する事になり、反発した松本十郎が開拓使を辞める、という事もありました。
という事を考えながら樺太を見ると、確かにすごく近い場所なんだな、と思えます。
間宮林蔵の立像
宗谷岬の碑の傍らには、樺太を見つめる間宮林蔵の像が建っていました。
図で説明するとこんな感じです。
ものすごくざっくり言うと、1809年に樺太を調査していた松田伝十郎や間宮林蔵によって、それまで半島だと考えられていた樺太は実は島だったという事が分かりました。
その大陸と樺太の間の海峡はタタール海峡とも呼ばれているですが、シーボルトによって間宮海峡、間宮の瀬戸、と世界に広められました。
間宮林蔵や松田伝十郎って誰なの?についてはコチラ↓をどうぞ。
宗谷岬の歌の歌碑
曲調や歌詞が凄く好きな宗谷岬の歌の歌碑も、宗谷岬の碑の近くにありました。
ボタンを押すと、歌が流れるようになっています。
天気の良い宗谷岬で聞けて嬉しかったです。
とは言え、周辺は除雪がされていなかったので冬に行く際は、長靴など雪を踏み分けて行く覚悟を持って行く事をオススメします。
間宮林蔵渡樺出港の地の碑は雪で近づけない
- 石碑の周辺は除雪がされていない
- 駐車場が近くにない
- 路駐するのは危ない
という状況だったので、通るだけで終わりました。
夏の時期などであれば車を止めても危なくないスペースがあるのかも知れません。
約210年前、29歳だった間宮林蔵が樺太に渡った場所である、と稚内のガイドブックに記されていた事で知る事ができた史跡の一つです。
道の駅で間宮林蔵グッズも買える
間宮林蔵をモチーフにしたりんぞうくんのイラストが書かれたお土産やおまんじゅうも売られていました。
びっくりしすぎて&レアな感じがして衝動買いです。
間宮海峡発見から200年を記念して2010年に生まれた、稚内のゆるキャラだそうです。
お饅頭はしっとり黒糖系のタイプとなっていました。
お饅頭の他にも、ホタテのヒモのパッケージにりんぞうくんがいたりします。
稚内のイベントなどで、運が良いと動いてるりんぞうくんに会う事もできるのだとか。
稚内市樺太記念館
先人カードを貰えるのが冬だと稚内市樺太記念館だ、という事だったので寄ってみました。
見学は無料で、稚内と樺太に縁のある人々についての紹介や、樺太との関係や歴史について写真を交えて紹介されていました。
樺太にあった日本とロシアの境界石のレプリカ(本物は根室の資料館にある)もあり、ゴールデンカムイ樺太編や、熱源を読んだ事のある人だと更に楽しいのではないでしょうか。
また、終戦時の樺太・真岡郵便局に勤めていた女性達の話などもまとめられており、ロシアと日本の複雑な関係を知る事もできます。
当時の樺太と結ばれていた稚内港に船が停泊しているジオラマもあったりと、樺太と稚内が繋がっていた当時に触れる事もでき、とても勉強になりました。
最後に
冬の稚内で宗谷岬で間宮林蔵の像を見たり、その周辺を見て楽しんできた思い出感想話でした。
冬景色も綺麗ですが、夏に行くともっと車での移動が楽で良いのかもな、なんて思いました。
また、稚内ではコンビニが北海道民の大好きなセイコーマートのみとなっています。
なので、セブンイレブンやローソンに行きたい!という事は難しいのでご注意を。
以上、間宮林蔵も祀られている北海道神宮の開拓神社が気になっている北海道民・おかめでした。