当サイトのコンテンツにはプロモーションが含まれる場合があります
江戸時代・幕末

江戸時代の学者で最上徳内の師匠・本多利明ってどんな人?北海道に来た事はあった?

開拓神社の御祭神の1人、本多利明。

江戸時代の学者で、最上徳内の先生でもありました。

北海道を開拓する必要性について幕府に意見を申し出たり、調査団のメンバーにも選ばれるほどの存在です。

北海道(蝦夷地)に対してどんな考えを持っていたのか、分かりやすく要点だけをまとめてみました。

本多利明について

本多利明ってこんな人

  • 江戸の音羽で私塾を開いた先生
  • ロシアの動きや蝦夷の事を気にしていた
  • 最上徳内の師匠
  • 幕府に蝦夷調査のメンバーに選ばれるが、
  • 代わりに弟子の最上徳内を参加させた

後に加賀前田藩に招かれて金沢に行き、周囲の人にも影響を与えました。

おかめ

江戸時代中期に北海道の重要性を考えていた人なんだね

蝦夷地に対する考え

  1. 北海道は霧深い・湿地が多くて住みにくいと言われている。
  2. でも、ちゃんと開墾すれば作物はできるはず。
  3. 食べ物が出来れば他の事も発展するし国力も増して、
  4. ロシアの南下に対抗する事もできる。
  5. その為にも土地やアイヌ民族について調査したり
  6. 蝦夷の生活に適した衣食住の研究も大事だと思う。

という事を考えていたそうです。

最上徳内に蝦夷草紙を書く様に勧めたり、自身も蝦夷についての考えを書いた蝦夷拾遺を幕府に提出したりしています。

おかめ

最上徳内は江戸時代に北海道に行って調査した事で有名だよ

本多利明自身は蝦夷に上陸した事は無かったものの、船に乗って沿岸を見に行っています。

>>最上徳内について

赤蝦夷風説考

  • 仙台藩医・工藤平助が
  • 1780年代に書いた本
  • 赤蝦夷=赤い服を着たロシア人
  • 蝦夷警備の必要性などについてまとめられている

ロシアが蝦夷を狙っているので、もし取られたら次は日本本土が危ないぞ!

的な話がまとめられています。

蝦夷の警備やアイヌ民族との関係を、積極的に考えるきっかけになったものです。

田沼意次がこの赤蝦夷風説考を読んだ事で、天明5年に蝦夷調査の計画が立てられました。

当初は本多利明が調査隊として蝦夷地に行く予定だったものの、代わりに弟子の最上徳内を向かわせています。

最上徳内が北海道と深い関わりを持つ事になったきっかけの人物、という事ですね。

開拓神社の御祭神一覧

関連記事