【北海道とじゃがいもの歴史】なぜ十勝はじゃがいも王国なの?ピンチを救うヒーローの話
小さい頃からジャガイモが好きで、学校給食では人気ナンバー1が肉じゃがの地域に住んでます。
じゃがいも7割、肉3割くらいの甘辛い煮物で、好かれすぎて給食センターがレシピを公開したり、帯広市役所の食堂で再現メニューが出たりするほどです。

北海道といえばじゃがいも、十勝といえばじゃがいも、と当たり前のように言うけれど、それっていつからの話なんだろう
そもそも人類の歴史の中で、じゃがいもってどんな扱いをされてきたんだろう?
気になったので色々調べてみると、じゃがいもはずっと「ピンチの時に頼られてきた作物」だったという事がわかりました。
じゃがいもはどこから来たの?

原産地は南米
じゃがいもは南米ペルーとボリビアのあたりが原産地の、ナス科の植物です。
紀元前5,000年前から栽培され、インカ帝国の主な食料でもありました。
16世紀にインカ帝国からスペイン人に伝わり、ヨーロッパに広まったと言われています。
最初は観賞用だったじゃがいも
ヨーロッパに伝わった当初、食べ方が分からず食中毒になる事が多く、花などを観賞する為に栽培されていました。
ヨーロッパではジャガイモが
- 聖書に出てこないから
- 毒があると思っているから
などで最初の偏見がすごかったのだとか。
食料として広まったのは、ドイツのフリードリヒ大王が生産性の良さに気付き、食べる用として栽培する事をすすめた事がきっかけ、とも言われています。
ピンチの時にはジャガイモ
ヨーロッパでは、戦争と飢饉が繰り返されるたびにジャガイモが普及していきました。
- 小麦よりたくさん穫れる
- ジャガイモは畑が少々踏み荒らされても収穫できる
- 畑を貯蔵庫代わりにできる
などの理由で、主食代わりとしてもジャガイモが食べられるようになっていきました。
船乗りを壊血病から救ったジャガイモ
18世紀頃からヨーロッパではジャガイモが食卓に出たり、船にもつまれるようになりました。
野菜類の中ではジャガイモは長期保存できたので、長期の航海でも食料を確保する事ができたからです。
当時、船乗り達は壊血病という、出血したり体がだるくなったりして死んでしまう事もある病気に悩まされていました。
現代では、壊血病はビタミンCを摂る事で防げる事が分かっています。
ジャガイモにふくまれた微量なビタミンCのおかげで、知らないうちに壊血病を予防できたと言われています。
日本とジャガイモ

日本にジャガイモが入ってきた時期は複数の説があります。
慶長3(1598)年or天正4(1578)年に、オランダ船によってジャワ島から長崎にもたらされたというのが主流の説です。
ただ、江戸時代後期からジャガイモについて記述が見られるという事から、
鎖国令が敷かれた後、オランダ人を長崎の出島に住まわせた寛永18(1641)年以降が妥当なのでは?という説もあります。
日本でもピンチの時にはジャガイモ
ヨーロッパで飢饉の時にジャガイモが活躍したように、江戸時代の日本でも飢饉が頻繁に起きていました。
飢饉の時に頼れる物として、蘭学者の高野長英は救荒二物考という本を書いています。
- 気候不順でもよく育つ蕎麦
- 暴風雨に強く栽培も簡単なジャガイモ
米の代わりに、お腹を満たせる作物として作る事をすすめていたのですね。
第二次世界大戦のご飯事情でも、ジャガイモは大活躍しました。
お米を節約して食べよう!ということで、ジャガイモやサツマイモなどの芋類を米に混ぜて食べたり、
ジャガイモからとったでんぷんを使ったりと、芋を主食にして食べてしのぐ事が行われていました。
東はじゃがいも、西はさつまいも
江戸時代の半ば頃から後期にかけて、ジャガイモは日本各地で栽培が行われるように。
ちなみに、主にジャガイモは東日本で広がり、対して西日本ではサツマイモがよく作られていました。
ジャガイモは東日本の冷涼な気候に適し、サツマイモは風に強く暖かい地域でよく育つ事から西日本で広まったと考えられています。
北海道とじゃがいもの歴史

北海道にジャガイモが入ってきたのは江戸時代
開拓使がまとめた開拓使事業報告という報告文の中に、ジャガイモ関連の事が記されていました。
- 宝永3(1706)年に瀬棚で高田松兵衛という人物が馬鈴薯をまいたのが最初、という記録がある。
- 高島では1718年に、太櫓で享保年代に、余市でも1857年に馬鈴薯が栽培されていたという記録。
ただ、これもどのくらい本当の事だったのかイマイチ微妙な本からの引用という事もあって、真偽不明とされています。
北海道でジャガイモが栽培された、はっきりした記録は最上徳内によるものです。
天明6(1786)年にジャガイモを持参して北海道に入った最上徳内が、虻田でアイヌの人々に栽培させたというもの。
寛政10(1798)年には、近藤重蔵が北海道入りした時にジャガイモがどうなってるか確認してもらっています。
近藤重蔵が松前藩に問い合わせをしてみると・・・
- 徳内がもたらした芋はアイヌの人々以外にも、通訳や松前藩の役人たちも栽培していること。
- 藩士が上方(京都や大阪)に行った時に持ち帰った芋も植えたら、土地の相性も良かったのがすごく収穫できたので、藩では飢饉に備えて芋畑を増やしている。
という報告を受けていたのだとか。
明治時代前から、北海道の一部ではジャガイモが作られていたのですね。

開拓期に本格化したじゃがいも栽培
開拓使によって、アメリカやヨーロッパから、ジャガイモが北海道に本格的に導入されました。
- 冷涼な北海道の気候や風土に合っていた
- 収穫までにそこまで大変な思いをしない
- たくさん収穫できる
- 米の代わりに主食にもなる
という理由がありました。
アメリカから農業の先生としてケプロンが招かれた際には、ジャガイモの新しい品種がもたらされたりもしています。
明治40年には川田男爵が取り寄せたアイリッシュコブラー(男爵いも)が、早く出来てたくさん取れて北海道によく合ってる、という事で北海道に広がっていきました。
明治時代の北海道では、地域によって米がすんなり作れませんでした。
米が作りにくい土地の移住者達は、すぐ作れて安定して穫れるという事で、ジャガイモを作る事がほとんど。
当時のジャガイモの食べ方は基本的に塩煮で、ジャガイモを煮てから団子にして食べたり、囲炉裏の熱い灰で丸焼きにして食べられてもいました。
でんぷんブームと北海道農業
ジャガイモの生産量が増えると、自分達で食べる以外に商品として売れるようになります。
しかし、ジャガイモを売るとなると、問題がありました。
- 水分を多く含んでいるので重く、輸送に不便。
- 腐りやすく、芽が出やすい。
この問題を解決する為に北海道で始まったのが、ジャガイモをでんぷんに加工することでした。
明治11(1878)年には、開拓使によってでんぷん作りが試されています。
ジャガイモでんぷんの生産が本格的になったのは日清戦争(明治27~28年)以降の事です。
服などを作る繊維の糸を紡いだりするのに、ノリとして、でんぷんがたくさん必要になったのです。
明治30年以降には、道内各地に多くのでんぷん工場ができました。
そして大正3(1914)年から始まった第一次世界大戦が、ジャガイモでんぷんの生産を更に後押しします。
イギリスがこれまでジャガイモを買っていた国から買えなくなった代わりに、北海道のでんぷんを買うようになったからです。

第一次でんぷんブームの到来!
ジャガイモの作付け面積は増え、でんぷん工場も増えていきました。
しかし、大戦が終わっていくとでんぷんブームも去り、価格も暴落。
工場もほとんどがなくなって、第一次でんぷんブームは終了します。
第二次でんぷんブーム?の昭和
次にジャガイモの需要が増したのは、第二次世界大戦末期から昭和25年前後の事です。
日本国内で食料不足になり、
- でんぷんを主食代わりにするのに必要
- 甘いものを作る原料に必要
となって、そのまま食べる以外でもジャガイモの需要が急増し、またでんぷん工場が増えました。
その後、食糧難が落ち着いてくると小さな工場は無くなり、大きな工場が残る形になりました。
輪作の推奨とジャガイモ
明治から昭和初期の北海道では主産物として、よく穫れてお金になるものといえば豆類でした。
が、豆は寒さや天候などによって収穫量や出来が大きく左右されます。
とくに、小豆は価格が上がったり下がったりのジェットコースターっぷりが激しいギャンブルな作物でもありました。



安定した農業やろうよ!小豆って連作障害起こすから作りにくいよね!
ということで、小豆、じゃがいも、麦、甜菜(ビート)を代わりばんこに作る、輪作が推奨されるようになりました。
今の十勝が農業王国、と呼ばれているのは、規模がめちゃくちゃ広い&機械が発達した事で生産量が凄い事になって今に至る、という事なんですね。


ジャガイモ料理の歴史


カレー&コロッケ誕生の明治大正
明治25年に救荒二物考が復刻され、改めてジャガイモの普及がすすめられました。
明治30年の家庭和洋料理法という料理本では、まだあまり広く食べられていない食材、と紹介されていたのだとか。
カレーにジャガイモが出てきたのも明治31(1898)年のことで、
家庭向けにカレー粉が発売されたのは明治36(1903)年です。
大正時代にはコロッケが登場し、大正9(1920)年にはジャガイモ料理を集めたレシピ本も出るほどだったのだとか。
肉じゃがが生まれたのは?
明治時代に東郷平八郎が留学先で食べたメニューを日本で再現させたのが、肉じゃがの始まりだった。
という話は、都市伝説とされています。
肉じゃがの誕生には諸説あるものの、始まりは軍の食事からだと言われています。
脚気に悩まされていた日本の海軍でしたが、西洋式の食事で肉や芋を食べていた上官達は脚気になりにくい事に気づきました。
ジャガイモに含まれていたビタミンB1をとっていた事で脚気にならなかったのです。
そこで、軍での食事に西洋のメニューが導入されるように。
カレー粉の代わりに砂糖や醤油など、家庭によくある調味料を使って手軽に作れる事から、肉じゃがが家庭にも広まったと考えられています。


じゃがいもの呼び名がたくさんある理由
じゃがいもには呼び名がやたら多いです。
- じゃがいも:ジャガタラ(現ジャカルタ)から来たいも→ジャガタライモ→じゃがいも
- ばれいしょ(馬鈴薯):馬の首の鈴のように芋がゴロゴロ連なるから、というのが通説
- ごしょいも(五升芋):一株で五升穫れたから。最上徳内が北海道に持ち込んだ記録にもこの名前が出てくる
- 男爵いも:函館どつくの専務だった川田龍吉男爵が広めたことから
- メークイン:イギリス原産で、メーデーの女王(クイーン)が名前の由来。北海道では大正14年に現在の厚沢部町で最初に作られた
男爵イモは川田龍吉男爵が現在の七飯町の農家、成田惣次郎に試作させた事が男爵いもの始まりと言われています。
道の駅や直売所に行くと、シャドークイーン、レッドムーン、インカのめざめ、きたあかり、とうや、デストロイヤーなどなど。
個人的には、黄色みが強くて丸っこい品種ほど甘みが強くてむっちりしているので好きです。
まとめ
じゃがいもの歴史を追ってみると、飢饉・戦争・開拓と、人間がピンチになるたびに前に出てくる作物だということがよく分かりました。
ヨーロッパでも日本でも北海道でも、同じパターンが繰り返されているのは面白いなと思ったり。
十勝の移住者たちが米の代わりに頼ったじゃがいもが、輪作を経て農業王国の土台になり、給食の肉じゃがになって今の子どもたちに食べられている-。
その歴史の流れを想うと、北海道といえばじゃがいも!十勝といえばじゃがいも!
と改めて叫びたくなりました。











